| 会社を辞めようと思ったきっかけ・・・ |
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| 今までの私の仕事はトラックドライバー それも労働基準法、道路交通法な〜んかくそくらえの長距離の運ちゃんでありました。 長年(16年)長距離の運ちゃんをしていて思う事は、毎日家に帰りみんなで飯を食い、子供と一緒に風呂に入る。普通のサラリーマン家庭では当たり前の事ですが、この業界では家の布団で寝る事もままなりません。(1度出かけると早くて1週間、長けりゃ2〜3週間帰れない。”亭主達者で留守がいい”ってなコマーシャルもありましたが...) 地方で泊まりの時は運転席の後ろにあるベッドでワンカップ片手にコンビニで買ってきた弁当を食らう(コインランドリーで洗濯もするんだよ〜)自分自身情け無くなる時間でございます。 長距離トラックの運チャンと言えば高収入と思われがちですが、それは一昔前の話。この不景気のご時世給料は上がらない、上がるどころか宿泊代のカット、高速代を使いすぎだと給料引き、etc・・・色々引かれるのが多くなって来るのです。(-_-;) 不安定な収入、将来性の無い仕事、なんでこんな眠たい思い、しんどい思い(荷物は全部手積み、手卸し)や、重量×△、スピード△×をしなければならないのかと仕事に対する不信感を抱いてきた時、家族に寂しい思いをさしてまでの仕事はもう辞めようと思いはじめたのです。 考えて見れば上の3人の子供達の運動会、父兄参観などに出席した事は殆ど無く寂しい思いをかけて来ました。せめて1番下の子だけには普通の父親、それ以上の父親でいてやりたいとの思いが、ひしひしと心の底からこみ上げてきのです。色々な思いが頭の中を駆け巡る中、2月に入ると登校拒否ならぬ出社拒否に... |
| 今までの生活・・・ | |||
| 所帯を持ってすぐに長距離の世界(長距離は男のロマン、陸の船乗りだ〜)に入り、子育ては全て嫁さん任せ。私はたまに家に寝に帰るだけの生活「お父さんは今度いつ来るの?」と子供に言われた事もありましたが、若いころは大きなトラックに乗って北へ南へと全国を走り回る仕事のほうが楽しく、嫁さんから「母子家庭のような生活やわ」と言われながらもあまり気にしてなかった事は確かでした。 長男、長女の非行、次女の学校でのいじめ、子育てと言う事を私自身軽く考えていたのでしょう。”うちの子に限っては・・・”と思う親が多いようですが、それは我が子に対するイメージがまだ小さい頃のままで、成長する子供の心の変化や、子供達を取り巻く環境に親自身気付いていないのです。”親の思うように子供は育たない”とよく言いますが、それは単に親のエゴそのものでは無いでしょうか。 今までの仕事を続けて、この先も嫁さん1人に子育てを押し付ける事はあまりにも可愛そうで彼女にも限界が来ていました。何でも話し合い2人で解決していく、夫婦として当たり前の事ですが私自身仕事にかこつけて、何もしてなかった事は確かでした。亭主として父親として失格と言われても当然ですが、若い頃から私を信じて付いてきた彼女をこのままには出来なかったし、子供達にもこれ以上寂しい思いをさせたくはなかったのです。 |
| ペンション経営に至るまで・・・ スノボーとの出会い |
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子供達に雪遊びをさせるつもりで近くのスキー場へ行ったのが全ての始まり。今までスキーと言うスポーツに全く無縁だった私がゲレンデの上から滑り降りてくる彼らの姿を見ていると・・・。 帰り道車は、まっすぐボードショップへ。上から下まで全部揃えて次の日からスキー場通い インストラクターのおにいさんに手取り足取り教えてもらう猛特訓の日々(ええ歳こいたおっさんが、ゲレンデの隅っこでしりもちをついたり、前向けにひっくり返ったり見られたものではないですが、「誰もが始めから上手くない」と嫁さんの言葉に励まされるのでした。)
少し上手くなると広いゲレンデ、雪質の良い所と欲が出てくるもので我が家で始めての長野へのスキー旅行。長野と言えばウインタースポーツを知らない私達でも耳にする知名度の高いゲレンデがありましたが、スノボー人口が多いと言う事で足は木島平へと向かったのでありました。 しかしこの時期、ツアー客を大勢受け入れるホテルの食事の悪さや部屋の狭さにはビックリ。別にツアー料金で行っている訳でもなく一応大手の旅行代理店で予約を取ったのですが・・・スキー旅行を知らない私達にとって「そんな事当たり前」と言う人もいると思いますが、普通の旅行気分で行った私達にとっては期待外れで帰途についたのですが、ひとつ気になった事が・・・それはリフト乗り場の横に立ててあった”ペンション用地分譲中”の看板でした。 |
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| 再び 木島平へ | |||
| 家に帰ってもあの看板の事が頭から離れない。一応業者の電話番号は控えてきたので尋ねてみると「1坪10万で、200坪ぐらいです」との返事。今までの仕事に将来性が無く転職を考えてた時期でもあったので・・・ その分譲地周辺のペンションのオーナーから話が聞きたくて再度木島平へ 静岡県出身のオーナーはペンションを始める前からこの辺で仕事をしていて結構木島平の事には詳しく「ここを10万で買うより他に行けば3〜4万円でいくらでもあるよ。」と教えて貰い土地探しをはじめる事になりました。。自分達の思うような土地(ゲレ近、子供達の生活圏)がそう簡単に見つかるとは思っていませんでしたが、区画に割られた分譲地を見つけたのです。!!(時期が悪く雪捨て場になっていましたが)今度はこの分譲地で2年前オープンしたペンションで話を聞くことになるのですが、ここのオーナー夫婦(大阪出身)との出会いが私や嫁さんの気持ちを動かしてくれたのです。 |
| 決心した親父 | |||
| 「ペンション業だけでやって行くことは難しいがここに住んでいると人生観が変わる。大阪と木島平の24時間、時間の流れ方が全然違う」との言葉。”男40にして立つ”この言葉の通りで、この歳が最後のチャンスと思い同じ借金を作るなら夢を買ってみる事にしたのです。「木島平に住んでペンションをやらへんか?」と何気なく子供達に言って見るとみんな賛成してくれました。特に年頃の娘や息子にとっては不便な田舎暮らしは、あまり有り難い事では無いだろうと思いますが仕事、仕事で小さい頃から寂しい思いをかけてた事や、私が家を空けているときも子供達には父親を立て、子育てしてくれた嫁さんのおかげでございます。 今の時代まわりの友達、環境に流されやすい子供達にとって田舎暮らしは良い事かもしれないし又、大自然の中、心豊かに育ってもらいたいのです 野生児のように!! ![]() 子供達だけでなくこのすばらしい自然の中で生活し、自分自身を変える事によって今まで足りなかった父親としての家族に対する愛情をもっともっと深いものにしたかったし、私達夫婦、歳を取ってから「あの頃はみんなでよう働いたなぁ」と昔を振り返るのもひとつの夢のような気もして・・・・・・ |